アラン・レネ監督の第1回長編劇映画作品で、「ヌーヴェル・ヴァーグで最も重要な作品」と評価されることもある『二十四時間の情事/ヒロシマ・モナムール』の解説・考察をしていく。
1.作品概要
監督:アラン・レネ
脚本:マングリット・デュラス
製作:サミー・アルフォン、アナトール・ドーマン
製作国:フランス、日本
配給:コシノール、大映
時間:90分
公開:1959年6月10日
出演:エマニュエル・リヴァ、岡田英次、ステラ・ダサス、ピエール・バルボー、ベルナール・フレッソンほか
2.あらすじ
独軍の占領下にあったフランスの田舎で、敵兵と密通して断罪された過去を持つ女優が、ロケのために広島を訪れ、日本人の建築家と一日限りの情事に耽ける。そして知る、広島の悲劇。時あたかも8月6日。原水禁運動を背景に、二人の孤独な会話が続く……。
3.主な受賞・選出
- 第33回アカデミー賞 脚色賞<ノミネート>
- 第12回カンヌ国際映画祭
<受賞>
国際映画批評家連盟賞
映画テレビ作家協会賞 - 第26回ニューヨーク映画批評家協会賞 外国映画賞<受賞>
- 第13回英国アカデミー賞
国連賞<受賞>
作品賞、女優賞<ノミネート>
4.作品の見どころ・考察
強烈なオープニング
交わる男女の肌と汗、砂か灰と思わしき物体に覆われている。
会話中は広島の惨状を記録した映像がカットバックで映し出される。
2人の会話内容は哲学的な問いかけが繰り返されるが、絶妙に会話が成立しておらず不可解なものばかりで、「怒りとは、平等とは、忘却とは」と答えのない問答が15分以上続く。
脚本や会話の概念を覆すような斬新で大胆な演出は、観た人に強烈なインパクトを与えることは間違いない。
最小限の情報
本作は男女2人の会話を中心に進行し、彼ら以外の登場人物がほとんど登場しない映画だが、その2人ですらパーソナルな部分はほとんど描かれない。
日本人男性は戦争で家族を全員失い、フランス人女性はナチス将校と恋仲だったため激しい迫害を受けたことは描かれ、お互い戦争によって心に深い傷を負っていることは明かされるが、それ以外はほとんど分からず、役名も男・女としか表記されておらず、彼らの本名すら最後まで判明しない。
本作は「お互いの内面をどこまで理解し、過去を乗り越えて受け入れられるか」が一つのテーマになっているため、通常の劇映画で必要な最小限の情報すら本作では意図的に省略されており、2人はあくまでそのテーマを演出するためだけの存在に過ぎないことを強く印象付ける。
従来の劇映画の常識を大きく打ち破るかのような演出方法は先進的であり、まさしくヌーヴェル・ヴァーグ最初期の作品らしい大胆な作品となっている。
戦争の追憶
本作は「フランス人が日本人の原爆体験、戦争の傷をどこまで知ることが出きるのか」という思考を元に脚本を依頼したことから制作されたというが、冒頭からラストまでその問いが投げかけられ続ける。
哲学的なセリフが多い中で、時々核心を迫るようなセリフもあり、中でも「君は何も見ていない」「忘れる必要があるのか?」というセリフは印象深い。
過去や記憶から逃れることは容易いが、忘却の彼方に追いやったところで過去は変える事はできず、受け入れることに意味があると彼は自分自身を含めて批判し、その言葉は我々観客に向けられた言葉だというのは火を見るより明らかだ。
幸いなことに先の大戦が終戦して以降、日本では戦争が起きていないが、それにより戦争や原爆の悲惨な体験が忘却の彼方にありつつあるのも事実だ。だが、それらは決して忘れてはいけないもの、永遠に語り継がなければならないものとして、強く訴えかけてくる。
5.個人的にマイナスだった点
退屈
このような作風に慣れている場合はメッセージ性を読み解こうと楽しめるが、恐らくほとんどの方が非常に退屈だと感じるだろう。
6.総評
難解な映画として万人受けすることはないが、その根底にある思いはシンプルで普遍的で、日本人だからこそ観るべき反戦映画に仕上がっている。
また、映像のアプローチも見どころで、終戦後の夜のネオン街を歩くシーンや、老婆を挟んでベンチに座り会話をするシーン、振り返ると既に女はいないなど、長編デビューとは思えない自由で表現力のある演出も多く、その点も注目するとより楽しむことができる。
7.こぼれ話
- 当初はドキュメンタリー映画の予定だったが、新藤兼人監督の作品を鑑賞して「これ以上のドキュメンタリーは作れない」と感じて断念。