ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞を受賞したとにかく陰鬱で絶望感に満ちた『鬼火』の解説・考察をしていく。
1.作品概要
監督:ルイ・マル
脚本:ルイ・マル
製作:アラン・ケフェレアン
製作国:フランス、イタリア
配給:フランス映画社
時間:108分
公開:1963年10月15日
出演:モーリス・ロネ、ジャンヌ・モロー、ベルナール・ノエル、アレクサンドラ・スチュワルトほか
2.あらすじ
「人生の歩みは緩慢すぎる自らの手で速めねば……」。アランはアルコール中毒で入院療養中、死にとりつかれていた。壁の鏡には、7月23日の文字。彼の人生最期の日だ。鏡の周囲には、彼を愛さなかった妻の写真、マリリン・モンローの自殺記事の切り抜き、悲惨な事件の切り抜き……。(映画.comより引用)
3.主な受賞・選出
〈受賞〉
- 第24回ヴェネチア国際映画祭
審査員特別賞、イタリア批評家賞
4.作品の見どころ・考察
徹底されたカメラワーク
本作は独特のカメラワークを徹底しており、主人公アランの焦燥感や孤独感、絶望感などを画面に映し出している。
大部分がアランの表情や目線を舐めるようなカメラワークで捉え、アランを訝しむ人々の目線や視線の交錯を、カットバック、鏡越し、斜めショットなど様々な手法で反復して強調することで、アランが抱える深刻な鬱的な感情を映像に乗せることができている。
アランにとって「人に愛される」ことが死活問題であるが、自身の内面や感情を表に出すことができず、抑鬱されている様子がひしひしと伝わるのだ。
ルイ・マル自身の投影
アランはブルジョワ階級で不自由はしていないが、際立った個性があるわけでもなく、非凡になりたいがプライドや地位が邪魔をしており、その事がさらに彼を苦しめているように見受けられたが、これは監督のルイ・マル自身を投影していると解釈できる。
監督は史上最年少でパルムドールを受賞するなど順風なキャリアを送っていたが、財閥の御曹司として育ったことから、作品に対しての評価は正当な評価ではなく、いわゆるコネや権力に起因するものだと感じていたとされる。
同監督の作品は内省的なものが多いが、本作で自らの生い立ちや環境に決別するために自ら死を選ぶ結末を描いたのではないだろうか。
エリック・サティの音楽
憂鬱感、虚無感が占め、躁鬱が繰り返される様子をエリック・サティの音楽が効果的に演出する。美しく繊細だが、儚さや悲壮感を想起させ、より救いようのない物語へと昇華させている。
5.個人的にマイナスだった点
前時代的な内容
こればかりは仕方ないが、アランが抱える悩みや人物設定は現代の感覚や価値で見るとさすがに前時代的で、本作を観て感情移入出来たり、感化されることはなさそうだ。
その部分を映画に求める方はただただ退屈な時間を過ごすことになるだろう。
6.総評
「君たちに拭えぬ汚点を残して、僕は自殺する」と書き残していることからも、アランが死を選んだ理由は生きることが辛いからではなく、死ぬことで自分の存在証明を果たそうとしたのではないかと伺える。そして、それは自分が愛されず、天才になれなかったことを他人に責任転嫁するようで、アランの幼稚性や不適合な性格を端的に表しているとも言える。
彼の選んだ結末は理解できないが、現代でも共感できる部分も端々であり、なかなか鋭い内容だった。