ゆうの孤独のシアター

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『キャリー』(1976)/オカルトブームに生まれたデ・パルマ節全開の傑作ホラー

独特な映像表現が爆発するデ・パルマ監督の傑作ホラー映画『キャリー』(1976)の解説・考察をしていく。

 

 

 

1.作品概要

監督:ブライアン・デ・パルマ

脚本:ローレンス・コーエン

製作:ポール・モナシュ、ブライアン・デ・パルマ

製作国:アメリカ

配給:ユナイテッド・アーティスツ

時間:98分

公開:1976年11月3日

出演:シシー・スペイセク、パイパー・ローリー、エイミー・アーヴィング、ウィリアム・カット、ナンシー・アレンほか


2.あらすじ

狂信的な母親のもとで育てられ、学校でも日常的にいじめを受けている少女キャリーは初潮を迎えて動揺するが、生理現象は汚れの象徴だと母親に罵られる。しかし、その日を境にキャリーは念じることで物を動かせる超能力に目覚めていく。(映画.comより引用)

 


3.主な受賞・選出

  • 第49回アカデミー賞 <主演女優賞、助演女優賞>ノミネート
  • 第11回全米批評家協会賞 <主演女優賞>受賞
  • 第5回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭 <グランプリ>
  • アメリカ国立フィルム登録簿 新規登録<2022年>

4.作品の見どころ・考察

オカルトブーム真っ只中の正統派ホラー

70年代のホラーブーム、特に『エクソシスト』『オーメン』などのオカルトホラー映画が席巻している中で、本作は「サイコキネシス」をテーマにした。

 

公開当時、『ノストラダムスの大予言』やユリ・ゲラーにより超能力ブームがあったということもあり、時代を反映したテーマ選びが功を奏しているかに思える。

 

デ・パルマ節炸裂

ブライアン・デ・パルマ監督の初期作品であるが、本作ではデ・パルマ監督の代名詞とも言える独特な映像表現が数多く見受けられる。

 

特にラストは凄まじく、キャリーに血が降り注いだ瞬間の無音でのスローモーション、キャリーのことを全員が嘲笑している幻覚、二分割・四分割した画面、万華鏡のようなディゾルブ、キャリーの目元のアップの多用など大胆かつ遊び心のある映像表現が堪能できる。

 

また、冒頭のシャワーシーンではあえてスローモーションで甘美な雰囲気を纏わせるなど、静と動、毒と花の対比を効かせるなど映像表現は一貫されており、観ていて飽きることがない。

 

毒親の存在

キャリーはシャワー中に初潮を迎えるが、知識がなかったためパニックになり同級生からバカにされイジメられる。

 

高校生になるまでそういった知識がなかったキャリー自信にも問題だが、やはり母親の教育姿勢が一番の問題だろう。「初潮を迎えたことから女になった=それ自体が罪」と半狂乱になりながら小部屋に折檻し、キャリーのことを「穢れた膨らみ」と形容する様は常軌を逸している。

 

折檻部屋では不気味な造形のキリスト像が見下ろしており、まるでキャリー親子の縮図であるとも思わされる。誇張された人物描写に思えるが、狂信的なキリスト信者、原理主義者では現実でも稀に見られるため、絵空事とは思えないのも恐ろしい。

 

また、プロム前日の食事シーンは『最後の晩餐』を思わせる構図、不安感を煽る雷鳴、両者の表情の違いが、その後に起こる惨劇を予見しているかのようで見事な伏線となっている。

 

圧巻のラスト

才能を完全に開花させ、放水による感電、そこから炎上したことで阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。今まで抑圧されてきた鬱憤や怒り、憎しみを爆発させたかのような演出だが、手にかけた人数は単独のホラー映画の中では類を見ないほどで圧巻だ。

 

だが、本作はここからが白眉だ。

帰宅し「死にたい」と漏らすキャリーと正座している母親は、冒頭とは真逆の構図になっている。これも面白い。

 

母親はキャリーの背中に包丁を突き立てるが、逆にサイコキネシスで包丁の磔にされてしまう。その姿はキリストを模したものであるのは明白で、なんとも皮肉な結末となった。

 

そして、キャリーは「穢れた血」を断ち切るために、自ら家ごと崩壊させる。母親の宗教観や価値観、ひいては母親という存在自体を思わせる家と共に死を選ぶという囚われのキャリーを思うと胸が苦しくなる。

 

地獄の始まり

生き残ったスーは墓に花を手向ける。自宅の跡地に建てれた小さな十字架は罵倒の落書きばかりの悲惨なものだったが、スーの心からの罪悪感が見受けられる。

 

スーが花を置いた瞬間、瓦礫の中から血だらけの手が腕をガッシリと掴む。これはスーの悪夢で彼女の母親が半狂乱のスーを落ち着かせる様子が映り、カメラはゆっくりとズームアウトしていく。

 

古典的なジャンプスケアではあるが一切なかったため効果は絶対だ。また、スーは一生悪夢の中で生きていき、スーと家族には地獄の日々が待ち受けていると示唆し、誰も報われない絶望感を与えている。


5.個人的にマイナスだった点

スーの罪悪感

スーはイジメた罪滅ぼしで恋人のトミーにキャリーとプロムに参加することを頼み、トミーもこれを受け入れるが、これが本心なのか何か裏があるのか判別できないのだ。

 

スーがそこまでキャリーを思う描写もなく、トミーも渋々受け入れたにも関わらず家まで訪れて声を掛けたりと、両者の関係性に対して不釣り合いな言動が多い。

 

また、キャリーをイジメた罰としてプロム参加禁止令を出されたことに対して逆恨みしたビリーとクリスのカップルが計画を準備していく様子も同時に描かれるため、ここと結託しているのでは?もしくは別方向から陥れようとしているのでは?という心理が働いてしまい、2人の描写が不明瞭で徹底されていない点が残念だった。


6.総評

ラストの復讐劇はもちろん、そこに至るまでの過程の描き方が秀逸だ。甘美な映像と音楽で思春期の女の子たちを美しく描きながら、同時に脆さや残酷さも孕んでいることを見せつけ、より陰湿さが際立つようになっている。

 

また、カタルシスだけでなく空虚感や絶望感も漂わせ、作品に大きな影を落とし込んだ点も功を奏している。出世作ながら映像表現や演出方法はアイデンティティを確立しつつあることからも、大きな作品といえる。


7.こぼれ話

  • 原作はスティーブン・キングの初の長編小説であり、初の映画化作品である。変更箇所も多いが、ラストの改変はキング本人も気に入っているという。
  • ラストは悪夢の不気味さを演出するために、後ろ向きで歩かせ、スローモーションで逆再生させたもの。